そもそも「ネイチャー・トレッキング・クラブ」とは?
それは、愛媛県社会福祉事業団に在職する若手職員等で構成されているサークルです。
職員の相互交流への機会提供を主眼とし、自然(ネイチャー)をフィールドに行う活動全般に取り組むことにより、会員相互の親睦とその体力増進、心身のリフレッシュを図るとともに、自然保護への理解促進と協力を行うことを目的として活動しています。
平成28年度 第1回定例会を開催しました!
今回、お城下城北・春の歴史文学散歩に行こう!
御幸(みき)寺山(じさん)(標高:164.6m)と万葉~明治の歴史文学ハイク
を目的として、平成28年度第1回定例会を開催しました。
日時 | 平成28年4月10日(日曜日) 9時30分から13時40分 |
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天候 | 曇 |
参加者 | 7名 |
行程 | 9時30分 身体障害者福祉センター・ 駐車場出発 9時50分 護国神社(万葉の歌人「額田王」歌碑) 10時10分 御幸寺横・御幸寺山登山口 10時30分 御幸寺山山頂 11時10分 下山開始 11時25分 一草庵(休憩・昼食) 12時45分 来迎寺の裏へ廻り込んで、ロシア兵ほか、足立重信墓所 13時40分 身体障害者福祉センター・ 駐車場帰着・解散 |
御幸寺山は、関ヶ原の戦いで武功を上げた加藤嘉明が松山に築城する際、1.御幸寺山、2.勝山(今の松山城)の順で候補地になりました。実際は、幕府の築城許可が第二候補地に与えられることを読んだダミー扱いだったようですが、室町時代には、既に山頂に三木寺山城という城郭が築かれていました。
当日は、薄曇り、やや肌寒い中の街中トレッキングで、まず、桜が残る春季例大祭中の「護国神社」へ。
万葉の歌人額田王の『熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな』斉明7年(661年)の歌碑を見学、群を抜く堂々たる歌碑でした。帰りは、ボランティアの皆さんが剪定中の万葉植物園も散策。
桜並木の護国神社と御幸寺山
額田王歌碑 副碑もついた、さすが…立派なつくり!
まだ、染井吉野は満開
続いて、一草庵横の小道から御幸寺山へ。標高164mの低山と思っていたら結構なきつさの登り。皆さん、ふうふう言いながら…、ひと汗かいての登頂。メジロが元気一杯のさえずりを聞かせてくれました。
御幸寺山頂、この碑どうやってここに?
春霞の松山城・北面
山頂の蔵王権現(鎖も…。)
麓に降りて、続いては、自由律俳句の巨人種田山頭火終焉の地「一草庵」へ。 案内人のおじさんが熱弁をふるって下さり、再建でも庵内に掲げられた「一草庵」の屋号(木製)だけは本物とのこと。
庵の入口には、代表作「鐵鉢の中へも霰」の句碑が。 山頭火には、他にも「まつすぐな道でさみしい」、「うしろすがたのしぐれていくか」などの秀句もあり、しっかり教えて頂きました。
全景、真ん中の小さな庵が一草庵です。
一草庵 石碑には、山頭火終焉の地と…。
唯一の本物 一草庵屋号(大山澄太命名)
庵内
入口の東屋内
案内人のおじさん、女性陣に囲まれ説明にも熱が…。
休憩後は、新川、松山大グラウンド沿いに西へ。来迎寺の立派な山門を通り過ぎて、同大弓道場への急坂を登ると、右手に日露戦争で俘虜となったロシア兵の墓地があります。地元のボランティアや小学校の皆さんの清掃で清楚な佇まい。ドイツ兵や太平洋戦争時のアメリカ兵も合葬されていました。
また、すぐ近くには、江戸時代初期、暴れ川として有名だった伊予川の灌漑工事を行い、湯山川(現在の石手川)と合流させてお城の堀とし、水害防止や広大な田畑を生み出し、重信川として国内でも珍しい個人の業績を河川名に残す、加藤嘉明の重臣 足立重信のお墓もあります。
俳人内藤鳴雪は「功や三百年の水も春」と詠んで、この偉業をたたえています。
ロシア兵墓地 きちんとお花が…。
ワシリー・ボイスマン大佐のお墓
お城の見える場所に葬ってほしいと遺言した足立重信墓所
【余録】
初めての街中トレッキング。色々な発見や雉さんも見れて十分楽しめた一日でした。
今回は、竹田さんとお子様有花ちゃんの親子参加もありました。
有花ちゃん発見の銀竜草
御幸寺山頂からも本部が…。
桃源郷? 桜が美しかった山里…。